私が少年時代に過ごした東京都南多摩郡鶴川村大蔵にあった鶴川村立鶴川小学校の同級生に送る「鶴川の四季」。
歌手の選定に失敗し、歌はからきし駄目になってしまったが、雰囲気だけでも感じ取ってください。
詩、曲とも私の作品。
http://porothecat.net/music_turukawa.html
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鶴川の四季(鶴川小学校卒業の皆様へ)
作詞 石阪弘之
作曲 石阪弘之
編曲 小山内たけとも
歌 真木洋介
(1)桜の咲く頃 小さな背中に 鞄を背負って 石段を登った
初めて貴方に 出会ったその日が 長い人生の 遠い記念日
(サビ1)第三校舎の外れまで 息を切らせ 駆け登り 見晴るかす山の向こうに 富士の雄姿が
(2)蛍の飛ぶ頃 小川の流れに 腰まで漬かって 蜆を掬った
校舎の裏には 緑の稲田が 見渡す限り 遠くへ続く
(サビ2)大きな樫の木の周りで 縄跳びに明け暮れた 思い出詰まった鶴川の 昨日の出来事
(3)柿色付く頃 神社の広場で 椎の実集めて 過ごした夕暮れ
世界の国旗が はためく校庭 日ごろの力を 試した運動会
(サビ3)悩み,迷いを支えあい 過ごしたあの日の事が
目を閉じれば昨日のように 鮮やかによみがえる
(4)目覚めて障子を 小さく開くと 見る物全てが 白いコートを
教室のストーブ みんなのお昼を 暖め匂いが あふれて待てない
(サビ4)自然に溢れた 鶴川の 厳しく、やさしい先生と
過ごした楽しい日々が みんなの宝箱
(繰り返し)自然に溢れた 鶴川の 厳しく、やさしい先生と
過ごした楽しい日々が みんなの宝箱
鶴川は町村合併前は東京都南多摩郡鶴川村でした。
鶴川村には小学校,三輪分校,小野路分校,中学校があり三輪分校の生徒は4年生から本校へ,小野路分校の生徒は5年生から本校へ通学するようになっていました。
小学校を卒業した皆はそのまま少し離れた中学校へ全員進級するのです。教師も小中学校を通して連帯感があったように記憶しています。
小学校は世田谷通りを東京に向かって左側にあり,107段の石段を上がった高台に位置していました。広い校庭には桜,樫,プラタナスなどが植栽され,特に大きな一本の樫の木は校歌にもその存在を歌われていました。
同じく校歌にうたわれる「流れは尽きぬ鶴見川」は,当時はハヤ、ウグイ,ナマズ,ギバチなどが釣れる綺麗な川でした。支流の沢の小川にはタナゴやメダカ,シジミ,カラス貝など,清流にしか住めない生き物も沢山いました。私の育った沢を挟んだ山には野兎も沢山住んでいました。
清流がはぐくむ蛍の群舞なんて,ごく当たり前の事で、明かりを消した家の中の蚊帳に蛍がとまって淡い蛍光を放つこともちっとも珍しいことではありませんでした。
この曲の冒頭にある第三校舎は運動場の上の段にある第一,第二校舎より更に高台に位置し,老朽化した建物は太い丸太のつっかえ棒とワイヤーで倒壊を防ぐ仕掛けがしてありました。
鶴川団地の造成の為に小学校はなくなってしまい,中学校だった場所も今では市役所の鶴川出張所になっています。当時の面影は消え,卒業生には何のよりどころもなくなってしまいました。
そんな情景を思い浮かべながら是非聞いて見て下さい。