と歌われた静岡県三島市へ。
6時に会社を出て厚木から東名高速に入った。
途中松田から御殿場までの左レーンでかわいそうな事故を見てしまった。
25トン車同士の接触事故で、それぞれのトラックの箱の側面がはがれてしまって,積荷が見えている状態で、一台は自走できない状態らしく、レッカーが吊り上げ作業を行っていた。
積荷を時間内に届ける事が出来ず、運転者は精神的にとてもつらい思いをしているだろうと思うと、切なくなってきた。気持ちを入れ替えて私たちは3台のコンボイで三島に向かった。
亡くなったお父さんが菓子の製造販売をしていた3軒長屋の真ん中のお宅。一階の作業場、店舗、風呂場、台所、二階の居室の全ての搬出をお受けし、新しい住まいとなる富士市内のマンションへの引越しも同時進行でやらせていただいた。
テレビの番組「ビフォアー・アフター」で見かけるような台所の流しのすぐ後に風呂桶があるという,「こんなのあるの?」と言う配置。お風呂に浸かりながら流しの洗い物が出来るスタイルだった。
日が短くなってきているので、4時を過ぎると精神的に追い込まれ、とてもつらい。特に後から後から出てくるゴミには手を焼き、しかも最後まで残しておいた作業場のベーカリー、ミキサーなどが気が狂うほど重く、その様相はさしずめ地獄絵図となってしまったが、五時半、ようやく全てを3台のトラックに積み込み、三島を後にした。
鼻から吸い込んだ50年間の埃は何度も何度もうがいをしても黒い痰が出る有様だった。
毎日こんな仕事をしていて、よく死なないな~~と思う今日この頃である。
私を殺したかったら、どんどん仕事をお願いします。肺の中が煤や埃やカビの胞子で埋まって息が出来なくなるまで・・・・・・・・・